遥かなる君の声 V 21

     〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          
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 王城キングダムの主城の基礎部、この大陸を流れる聖なる気脈の最も主要な流れが通る窟道にあって。どんな強力な咒であれ、貫き通るのは不可能なはずの場所だというのに。老僧の念じが地の底から招いたは、見るからに妖しげな白い幽鬼ら。時計を早回しでもしたかのように、一度に十体近くが ぬうと地べたから沸いて出た、蝋細工の傀儡
くぐつのようなそれらが、

  ――― しゃり・りんっ!

 老爺に握られていた錫杖の頭に揺れる、幾つもの金環。とんと地を突いたその所作により、涼やかにも一斉に打ち鳴らされるや。それが合図であったのか、大きさも高さもバラバラだった彼らが、一様にその動きを整えて。顔さえないよな風貌の、ぬるりぬめりとした幽鬼たち。宙を斬り裂き 吹きつけ吹き抜ける風より速く、公主を護りし、陽の導師ら目がけ、ひょろりとした長い腕をそれぞれに伸ばして、一気に掴み掛かって来たのだが。

  ――― 哈っ!!

 悪夢の中を支配し存在であるかの如く、不気味なその上、それは自在な動作所作。地中のそれであるがゆえ、さして高くはない筈の天井と、楯にと立ちはだかっていた先峰の青年二人の頭上との隙間を泳いで。遠い間合いの向こうから、一瞬にして突っ込んで来た、薄気味悪い白い幽鬼めら。その前へと立ちはだかっていたは、炎獄の民の面々の中でも最も手ごわかった双璧こと、金剛と名乗った兄弟二人。強い意志とそれが支える飛び抜けた武道の腕を誇る、それは雄々しき“双龍”たちが、それぞれの手へ構えた三節棍とサイを駆使し、何とも忌々しき幽鬼たちを瞬殺の技にてたちまちに粉砕してしまったから、
「…凄げぇな。」
 間一髪で危難を取り去っていただいた、導師様方のほうでさえ、驚嘆の気色も色濃いままの、何とも言えない感慨を洩らす。窟内の闇の中にあっても、透き通るような幻のような種の妖しい白が、不気味に光って浮いて見えてた。
「いくら海に近い国だとて、あんなクラゲもどきをこんな地下まで、詠唱なしで呼び出せる爺ぃも爺ぃだが。」
 こらこら、蛭魔さん。相手の力量の物凄さを認めるのが癪だったからって、そんなまで口汚く言わんでも。
(苦笑) そんなお言いようを受けたのが、咒よりも剣術の方が得手だと言っていた葉柱で、
「それをまた、ほんの一閃で…相手の欠片さえ逃さず、作動停止レベルへ完膚無きまで粉砕しちまえるとは。」
 例えるならば、そう…指揮者のタクト一閃。最初の一音をじゃんっと鳴らしただけの所作にて、あの数の邪妖たちを一気に粉砕し得たは、ずば抜けた反射とそれから、一縷の迷いもなかった攻勢への徹底ぶりと。さすがは自分たちを手古摺らせ、しかもそれが全力じゃあなかったっていう豪の者だけのことはあると。こっちへは…褒めてんだか腐しているのだか、少々微妙な言い回しをもっての、感嘆と称賛のお声をついつい上げてしまった、陽白の陣営だったのだけれども。
「油断は禁物ということだな。」
 楯になってくださっているというよりも。自分らを一族丸ごと欺かり続け、同胞たちをいいように利用した、選りにも選って魔界の存在だった老爺に向けて。募る怒りを発散させたいらしき双龍の二人なのであって。
“まあ、完全に任せ切るというつもりではなかったが。”
 聖剣や祈りの護剣、めいめいの獲物をあらためて抜き放っての、身構えをした彼らの視線の先では、

  「どうしたよ、僧正様。」

 素晴らしい呼吸の合いようにて、まずはの雑魚を一瞬でからげてしまった剛腕二人。
「俺らをさんざん利用した揚げ句の最終目的なんだろが。発揮出来る能力はあんなもんじゃあなかろうよ。」
 房のように綯った黒髪が額から下がったその後ろから、どうかすると挑発とも取れそうな言い回しを放つのは、弟君の方だろか。これまでの様々な場面にて、ともすればこちらの陣営の必死さ真摯さを嘲笑うかの如く、常に飄々としていた彼だったが、ここに至ってはそんな仮面ももう不要だと、かなぐり捨てての本気の構え。

  ――― そう。彼だけが気づいていた本当の“真実”が今やっと、
       単なる感触や憶測から“事実”へと形を取った瞬間だったから。






 昔むかし、何もかもが入り混じって1つだったところから、光と闇が分かたれた…という“始まりの神話”を世界で初めて紡いだ土地。人の歴史の始まりの地と言われて久しいこの大陸の、最初のコミュニティーの始祖らが興した国。悠久の歴史を誇る王国、王城キングダムの首都城下の、此処はそのまた地下深くの闇の中。見るからに人の手になる窟道でありながら、現世を生きる人々の記憶の中から忘れ去られて久しきこの空間に今、正に世界の命運を賭けて真っ向から相対す人々がいる。片やは、王城キングダムというこの王国の、いやいや、陽世界の陽世界たる光を全て、束ね守る その要。光の公主という陽白の眷属様と、そんな彼を守り、苛烈に戦いもする、頼もしき導師たちと白き騎士…と。今回のただならない騒動の胎動の主たる一角を担っていたにもかかわらず、紆余曲折を経た上で、驚きの真相を得ての正しき覚醒。手ごわい敵であったものが今は、自分たちを体よく利用していた本当の黒幕へと牙を剥いてる、それは頼もしい武道の達人が二人ほど。

  ――― そして、そんな彼らにたった一人で相対するは。

 生国であるこの大陸を追われ、新天地では得体の知れない異国の者だと差別を受けて。苛酷な運命
さだめに翻弄されて来た炎獄の民の方々を、永の歳月、指揮していたと思われる老僧が一人。枯れた老木のような姿を裏切る、油断のならない存在感を漲らせ、こちらの凄腕揃いの陣営に臆しもしないで、矍鑠と仁王立ちをしておられ。過去からの伝言をただひたすら伝え続けた聖職者の家系にあって、どこか神秘に満ちたところがあり、奇跡がかった存在だとされていたその彼が、実は。奇跡は奇跡でも、聖なる尊敬を集めるなどとんでもない。かつて、聖なる存在と地上世界の覇権を争った魔界の住民、忌まわしき負界の覇王を崇あがめ奉る闇の眷属であること、阿含や蛭魔の指摘をさらりと受けた本人の弁により、何ともあっさりと判明したは。此処が紛れもない正念場であることを察し、もうもう白々しい隠しごとをしている意味も のうなったと断じてのことだろう。そんな老爺へ、先端も鋭きサイの切っ先を差し向けて、
「選りにも選って。俺らの祖を利用しての小細工を成し、それが破綻しかかると、今度は逃げ出す時まで利用しやがったってことかよ。」
 ここに集いし人々の、甲乙つけ難い豪の者が揃ったその中にあり、序盤の戦いでは他の導師らや白き騎士までもを手古摺らせた男。阿含という青年が低い声にて言い放つ。哀しい宿命に翻弄され、生まれ落ちた時からその居場所を最下層に据え置かれ。そんなところへ追いやられたそもそもの素因を植え付けたのまでもが、この老僧だと言い切られたこの局面にあっては、さすがに飄々としてもおられまい。これまでのずっと、誰も彼もを誤魔化して来た仮面を脱ぎ捨て、今やそれはそれは素直な感情の発露、静かな怒りに滾
たぎる彼へと、老爺はぐつぐつという くぐもった笑い声を響かせながら、
「さようさ。」
 これまたあっさり肯定し、

  「廉直で騙されやすくて。何とも他愛ない者共であったからの。
   隠れ簑には打ってつけじゃった。」

 この“世界”は、一番最初に閃いた稲妻により、最初の状態、曖昧模糊とした混沌から、様々に分かたれた…のだが。それを具体的に言うならば。天へと昇った稲妻が混沌を分断したその時に、混沌は転々と千切られて撒き散らかされもし。その弾みで生まれた“個”がそれぞれに歩みを始めたのが新しい世界の始まりであり。そこから生まれた“色々”たちのうち、それは健やかに様々な存在としての目覚めを見せた者が多々あったのとほぼ同時。稲妻の光を祝福としてその身に受けた者らと違い、そんな新参者らを片っ端から滅ぼして、虚無という混沌へ再びの回帰をせんと目指した者らもまた発生した。負界の魔物たちの中でも、特に魔力と使命感の強い者ら“闇の眷属”と呼ばれる輩たちは、様々な手段を講じては陽世界への干渉をいまだに続けてもいる訳だが、

 『儂の力、最も浴びし証しのその炎眼が、何か察してしまったのかも知れんよの。』

 聖魔戦争の終焉期。日輪の力が満ちた地上では、魔物は絶対不利でもあって。聖なる存在たちは世界の安定を見越すと、そこを流れる“時間”を紡ぐ者として人間という存在を選んで生み出し、その彼らを見守るものとして“陽白の一族”を添わせると、後は任せたと、日輪への護りを完全に固めるべく天へ去った。その陽白の存在を助けた一派の中、戦いにのみ特化した一族があり、殊に…強力で即効性も高い“闇の咒”に対抗するべく、式神を従えるという間接的な召喚術を思いついた面子の中に、それへ飛び抜けた能力を発揮出来る存在が現れ始めて。式神は、いくら小者であれ邪妖には違いない。そんなものとの接触がもたらす何かが、今は見えねど 先々で、万が一にも暴発しては危険だからと。ある意味、隔離されたのが“炎獄の民”と呼ばれし一族の中、召喚専門のサマナーの家系の者たちだ…とされているのだが。
「俺らの祖がこの“炎眼”を得たのも、お前様の講じた企みのせいなのだろう?」
 それを示唆した先程の言葉。彼らの祖たちがどんどんとその咒力を増していったのは、召喚した魔物からの影響などではなく。この老爺がこっそりと、自分の持っていた負の咒力を ばら蒔き・植えつけたその蓄積のせい。そうやって得させた大きな力を、だが、恐れるなと。殺戮は確かに罪だが、約束の時をただ耐えて過ごせばその罪も贖われるからと。純朴善良だった彼らを鼓舞して踊らせて。そうやって…彼らをじわじわと魔物にでもしようと企んだのか。だが、そんな働きは、結局 無為なものとして水泡と帰した。負世界の魔物、邪妖らを撃退出来たとし、そこから始まった地上の安寧は、穏やかさが過ぎて…炎獄の民を魔物に見せるに十分なほどだったがために。無力だが白の祝福を受けし“新世界の和子”とされた人間たちと、彼らとの間に齟齬が生じ、それが様々な形で蓄積したその結果、一触即発、またもや大きな戦が勃発しかねぬほどもの気配となって。そして…それを危ぶんだ陽白の一族たちが、彼らの最後のお務めとして、選りにも選って、炎獄の民を一掃しようと決めたから。
「主らの宗主は、地上へ出るための道標とした後、叩き殺してくれたわ。」
 悪びれもせずに言い放ち、そうやってその宗主とやらに成り代わったと認めた老爺は、
「陽の者らを内側から散々に翻弄してやろうと思ったのだがの。」
 老いた声音を鈍く震わせ、低く笑って言い切って。
「あっさり分かりやすく暴れるよりも、じわじわと罠を仕掛け、引き返せないところへまで追い込んでから、一気に畳み掛けてやろうと思っていたのだがの。」
 隠して置く必要もなくなったこと、しかも、彼らの祖がどれほど愚かで騙しやすかったのかという罵りでもあるからと、滔々と語る彼だったが、

  「気が長すぎたのが敗因だってか?」

 先を読んでのすっぱ抜き。呆れたような声で、故意に聞こえよがしに言ってやり、
「もっと深みに嵌めて困らせてやろうと思った末のその爲軆
ていたらくとはの。単なるアホじゃの、そりゃあ。付き合わされた方々が、余計に哀れでならんわ。」
 挑発ならお任せの本家、金髪のカナリアさんが、恐れもなく言い放つ。追い詰められし悲劇的な立場に陶酔しているかのような御託がくだくだと続くのを、聞いているのもいい加減に飽きたというお顔をしており、それへと呼応してのことか、
「…っ!」
 視線の揺れ一つで、老爺が新たに召喚したらしき、コウモリのような飛ぶ何か。蛭魔へと向けて鋭い軌跡を持ってして、放った老爺であったらしかったが、それはその輪郭をこちらの皆が察知出来た同じ刹那に、
「…デリタ。」
 こちらも桜庭の静かな呟き一つで、瞬く間に宙へと蒸散してしまい跡形もなく。狙われたのが蛭魔だったからというのみならず、何を召喚しても無駄だという、さっきの金剛兄弟の言を、こちらでも同じくと体現してやったまでのこと。まだまだ余裕綽々なのだよと、ふふんと笑った若造らを前に、
「………この うつけらが。」
 微かにながら、表情をやや尖らせた老僧は、
「お前たちの祖らがどうして。儂がとどめを差すまでもなく、人間たちとの間に溝を作り、険悪になっていったか、まだ判らぬか?」
 一番の間際に立ちはだかっている二人の兄弟へ、そんな言いようを投げかけ、そして。
「人の上に立とうというのは、どんな場合のどんな例でも、全て強欲で独善で悪しき事なのか? 特別な力を得たこと、駆使するのは罪なのか?」

『他の大勢とは異なる存在。難儀な身、相容れてはもらえぬ何かを持つ特殊な身。それを苦だと、一度でも思わなんだか?』

 先程の言を繰り返すつもりかと、蛭魔や阿含が眉を顰めたそんな中、
「無力な輩どもほど公平をと叫ぶだろう、何もせずに安寧の保持をと声高に怒鳴るではないか。何も出来ぬくせに欲求ばかりが一人前で。優れた者がよくよく思案し、時には苦渋の選択をした末に打ち出す指針へ、何も考えず、ただただ楽をして従っておるだけ。だが、それが自分へだけ益をもたらさぬことだと、一転して非難に回る。」
 今度はまた、何とも大きなくくりでの“風呂敷”を広げ始めた老爺であるらしく、
「人という生き物はそもそも、生き残りを懸けるほどもの場合でなくとも“同族殺”をこなせてしまえる、それは不自然な生き物なのだ。」
 意志、自我、感情、想像力。他の生き物がこうまでは持たない思考を持つがために、非力でありながらここまで繁栄もしたが、それと同時に…お前たちが忌み嫌う“闇の心”をいつまでも拭い去れずにいもする存在。弱いものは淘汰されて自然だってのに、弱い身だからこそ助け合わねばなんて麗言を並べ、社会的なモラルだの自己犠牲だのと美しく飾っての“不自然”を、社会的な道理
モラルだとして庇い合い。だのにその一方で、利己的な感情からあっさりと、弱いもの邪魔なものへ衒いなく手をかける。
「本能を進めたものだという、意志や自我が備わっているのに。天敵でもない相手を、同じ人間を、直接憎くない相手さえ殺すことが出来るのが人間だろうが。」
 それ自体が古びた木の枝みたいに、かさかさに乾いて骨張った手に握った杖でこちらを差して見せ、
「忘れたか? お前たちの祖を滅殺しようとしたのは、陽白の一族ぞ。邪妖でもない存在を、自分を大いに助けた者共を、なのに殺そうと構えたのだぞ。」
 先峰の二人へと語り懸ける。
「外地へ逃げ延びたお前たちの祖を、やはり苦しめたのもまた、人間ではなかったか?」
 中途半端に文明が進んでいた国。さっき阿含が、そのせいで色んなところが腐ってたと評した国。
「文明人を気取り、自分たちが崇高な証しだと賛美していた社会愛など、独善の前にはあっさりと崩れ去った。ちょいと冷たい風を起こし、今年もまた穀物が不作だと、眠りの中、囁いてやった触れ回っただけで、ああも凄まじい混乱が生じたほどにな。自分さえ良ければと容赦なく他を蹴落とし、抵抗出来ない弱者から一致団結して縛り上げていったではないか。その方が効率がいいからだと、ぬけぬけと言っておったよなぁ?」
 そのあまりの醜さを、だが、彼にとっては甘露な快美と思い出したか。くかか…とばかり、耳障りな高笑いをする老爺だったが、

  「偉そうに言うておるが、今のお前様は一体どんな案配にあるのだ?」

 ぼそりと。雲水が一言を置く。
「途轍もない仕儀で俺たちを謀かってきたお前様だが、今はどうだね。」
 何をどんなに高らかにほざこうと、今や凄腕の導師たちに取り巻かれている窮地にあるのではないのかと。どんでん返しが間に合って、闇の太守を招くための“殻器”としていた騎士殿も、相手へお見事に奪還されたその揚げ句、今のところはまだ…最終目的とやらは果たされていないではないかと、遠回しながらも辛辣に畳み掛ければ、
「ほほぉ。」
 座った眼差しで相手を見据え、
「今すべてに気づいたばかりのうつけが偉そうじゃの。」
 それこそ。聖職者にはあるまじき罵言にての即妙な切り返し。こういうことには慣れぬかそれとも、素地はやはり潔白で融通が利かぬのか。う…っと、怯んだように歯を食いしばりかけた彼だったが、
「負け惜しみはそこまでにしときなって、わざわざ優しい言い方してくださったんじゃねぇの?」
 蛭魔の声が後ろから飛び、
「俺みたいな短気な粗忽者にはなかなか出来ねぇことだがよ。昔話が大得意で、自分の足元が見えてねぇよな、耄碌しかかってるよな年寄りは、せいぜいいたわらねぇとな。」
 ………全国の普通の壮健なお年寄りの方々、すみません。
(う〜ん) どんな脅しも口撃も無駄無駄と。それこそ、怯むことなく畏れも知らず。最初と変わらぬ不遜なまでの力強さにて、胸を張り続けている青年導師らであって。
「御託はもう沢山だ。手の内が尽きたというのなら、こっちから畳み掛けてやろうじゃねぇか。」
 言うが早いか、蛭魔のその手でぶんっと振り上げられたは、本身を伸ばしてショートソードへ変形させし聖なる護剣。懐ろへとセナを庇っている進をさらに守るような、防御型の陣形にも見えるが、
“何の、妖一の場合は自分が暴れたいがための前衛配置ですって。”
 相変わらずの向こう見ずで、まったく困った子なんだからと、胸中にて苦笑をこぼした桜庭もまた、同じく負傷した少年を庇っている身。随分と回復してはいるが、相手が相手、用心して抱えたままの態勢を保っており、
「………。」
 そんな彼らが気鋭を高め、言い合わせることもないまま、それでもほぼ同時に、それぞれが じりと足元を押し出しかかったその刹那、


  ――― しゃっしゃり・しゃりん


 やはり再び、錫杖の先の金環が振られて鳴り響き、その場に満ちたは一陣の閃光。
「な…っ!」
 自分たちの十八番、目眩しを放ったその隙に逃げるつもりかと。強い光源から眸を庇いつつも、相手の気配を取り逃してなるものかと意識を澄ませた黒魔導師のその感応器に拾えたは、
「何ぃっ!?」
 逃げるどころの騒ぎじゃあない。窟道を悠々とその身で埋めるほどもの、雄牛よりも巨きな六足の魔獣が現れており、
「さっきのクラゲの幽霊もどきよかは、当たりようもあってマシかもな。」
 口の減らないカナリア様が、呆れ半分の一言を放ったものの、
「こうまでしっかりした存在を召喚出来るとはな。」
 先程のは存在のあやふやな幽体だったのかもしれず。だが、今度のこれは見るからに充実した肉体を保持した生き物だけに。聖域であるという絶対の制約も何のそのと、こんなものまで意のままに呼べる咒力のいかに物凄いことか。ここに集った面々の大半がそういった咒にかかわる顔触れたちなだけに、強気の内心、そこはそれ、ダイレクトに脅威を感じておりもして。しかも、

  「てあっ!」

 それがどうしたと、まだまだ強気な先峰の一人、縄頭をした阿含とやらが、両腕に構えていたサイを繰り出し、相手の鼻先へ先制の一手、強烈な一撃をお見舞いしかかったものの。

  「ぬんっ!」

 それを、なんと杖で扇いで阻止した老爺。薙ぎ払われた錫杖の先。触れた訳でもないというに、それで指し示された阿含の…腕が足がひたりと止まって、
「ぐ…っ!」
 これまでのなめらかで力強かった動きを凍らせてしまう。
「阿含っ?!」
 触れてもないままのそのままに、錫杖のその先が中空にて…こちらへぐいっと押し込まれるや、

  「がぁ…っ!!」

 その精悍さ屈強さが集約されし、背中と胸と。よくよく練り上げた雄々しき力を塗り込めたような、岩の如くに堅そうだった胸板が。何かしらの一撃に深々と押し沈められ、しかもしかも…それだけでは収まらず、堪え切れなかったものらしき声が出る。目には見えない何かしら、攻撃咒の圧でも降りそそがれたものか。あれほどの使い手が、あれほどの頑強な武闘家だったものが、圧し負かされての後ずさり。踏ん張っていた足元が張りついていた地へ ずずっと、足の跡をわずかに埋めたほど、引き摺らされてまで強引に押し戻されて。
「…っ!」
 彼の身体の輪郭を覆うよに、赤い光が滲み出る。何かに搦め捕られたか、いや、これは………。
「まさか…。」
 彼へと預けたというような、そんな言いようをしていた、妖かしの力。闇の眷属であるがゆえ、陽界へまで持って来ていた“闇の咒”発動のための咒力とやらを、今この時に取り戻そうとした老爺だったのではなかろうか?
「…待てよ、待て待て。」
 先程の彼らの会話に、恐ろしいやり取りがなかったか? 行方が知れなくなった年長者云々という下りが。まだ幼かった彼らをフォローしていた兄様姉様たちが、一斉に姿を消したのだという詳細までは聞いてなかったが、それでも推察は出来て。
『預けたものを返してもらっただけじゃがの。』
 その血統の中に脈々と紡いでゆけと、勝手に授けた自分の闇の咒力を、今になって強引に取り戻した彼だ…ということだったなら?
「ますますの地力をつける気か?」
 しかも、
「阿含っ!」
 輪郭を縁取る光がするすると消えて、力尽きたか、膝を地につき、態勢の頽れた弟へ、はっとした兄が肩を支えかけたけれど、
「………大丈夫だよ。」
 少々掠れた声ながら、それでもはっきりした応じが返り、
「こんな仕儀が襲いくるやも知れないと、咒力を分離させておったからな。」
 さすがは、相手の企みに早くから気づいていただけのことはあり、
「兄様姉様たちが倒れたは、何の用意もないまま、生気と一体化していた咒力を強引にむしり取られたからだ。」
 折りかけた膝へと手をついて、ゆっくりと身を起こす彼であり、
「相手へ土産を渡したことには変わりがないが、残念だったな、こっちの手勢は削れてねぇよ。」
 赤みの消えた、深い漆黒の瞳が真っ直ぐ睨み据えたその先には、
「………さすがは闇の眷属だぁな。」
 体内へと導いた力が大きすぎての放電か、今度は自身が全身の縁を鈍く光らせ、まとっていた袈裟のような衣紋をゆらゆらと風もないのに はためかせ。体躯が一回りほども大きくなった老爺が、泰然と立っており。

  《 せいぜい吠えておるのだな。》

 杖の先に搦め捕ったは因縁のグロックス。
《 儂はこれから一仕事を始めねばならぬ。そやつらを食ろうてしまえっ!》
 後半の台詞は、自分が招いた魔獣への号令代わり、すっと背後へ身を退けて、窟道の先へと退こうとする老僧へ、
「あ…っ!」
「待てっ!」
 それぞれが怒鳴った声を、魔獣のがらがらとした咆哮がそれはあっさりと押し潰す。この大物を叩き伏せねば追えぬということだろうか。
「そんな時間稼ぎに付き合ってやる義理はねぇ。」
 負けるものかとこちらも声を荒げると、
「そこの復活剣士は、チビとそれから桜庭の抱えてる方の坊主とを守って此処へ居残れ。後は俺と一緒について来なっ!」
 手勢を振り返っての一声を上げる。
「この化けもんはこいつらが倒すだろうが、その間に闇の何とかが召喚されては元も子もない。」
 こいつら呼ばわりをされたのへムッとしたか、肩越しに振り返って来た阿含だったが、
「今ので咒力を奪われたのなら、お前にも奴を徹底的に伸すのは無理だろうしな。」
 物理的な力、武術にどれほど優れていたとても、陽咒を駆使してでなければ、闇の力は相殺出来ないから。
「俺らが全員で畳み掛ければ、何とか出来るかも知れぬからな。」
 だからせめて、順を踏んでの召喚の仕儀を立ちあげられてしまう前に一刻も早くと、後を追いかかった蛭魔だったが、

  「ボクも行きますっ!」

 言った声だけを場に残し、ざっと彼らの傍らを駆け抜けたは…純白の疾風。蹄の音がしたのは最初の踏み出しの一歩だけであり、あとは宙を滑空してった、ちょっぴり狡い公主様。
「あんのバカ公主〜〜〜っ!」
 説得する間もあらばこそ。討論している暇も惜しんで、今度はきっと、純白の天馬に変化
へんげさせたカメちゃんに跨がっての、先行を果たしたらしいセナとそれから。そんな彼らの後ろ姿が、行く手の闇へと没したその寸前に、何とか見て取れたあの大きな背中は進も勿論の一緒に、という道行きであったらしく。
「先に一人で行けっての、さっき成功させたからって味をしめたんじゃねぇのかね。」
「〜〜〜〜〜。」
 額へわざとらしくも小手をかざして見送りながら、しゃあしゃあと言ってのけた葉柱へ。だとすれば、それをやらせたのは誰なんだと。これも余裕の一端か、内輪もめに発展しそうな恨めしげな眼差しを、身内へ向けた蛭魔であったものの、
「…こうなっては、こっちも最初の案を呑んだ。」
 そんな声が割り込んで、彼らの逆立った意識をどうどうと窘める。声の主はすっくと立ち上がった弟の肩から手を離したところの雲水殿で。
「あの怪物は俺たちが引き受けるから。僧正はあんたたちが追ってくれ。」
 ぐるるる…と低い唸り声を放って、足元をふんふんと低い鼻先でしきりと嗅いでいるのはきっと。ついさっき駆け抜けてった聖なる存在の残した匂いが気になるからだろうと思われて。慣れぬところへいきなり呼び出されたせいだろか、周囲への反応がまだ、今一つ鈍い魔獣であるらしく。
「ちゃっちゃと畳んですぐにも追いつくから、手古摺ってくれてても一向に構わないぜ。」
 なんてな憎まれを付け足した阿含の、肩越しの挑発的な一睨みに…触発される方も方だと思うが、
「ああ、任せな。ご苦労さんと笑顔で迎えてやっからよ。」
 何だったら、こっちへ加勢にって引き返して来てやってもいいぜとまでの憎まれのお返しをする、相変わらずに大人げないカナリアさんの腕を引き、
「ほら妖一、そうしたいんなら急がなきゃ。」
 一休という男の子を抱えたまんまの桜庭が促すのへと、しぶしぶ応じて向き直れば、

  「…っ、どかねぇか、こんの腐れ ○※◎●▽▽がっ!」

 一部、不適当な発言がありましたので自己粛正させていただきました。
(う〜ん、う〜ん)これ以上はないほど堂々とした八つ当たりから、魔獣への罵倒句を放って一喝し、
「…っ。」
 意味までは通じなかっただろうに、一瞬 怯んだ…らしい?相手の足元右脇の隙間を、素早く一気に駆け抜けた3人の導師たちを見送って、

  「俺、あの金髪だけはどうにも好かんわ。」
  「そうか? 最初からのずっと、過ぎるほど馬が合っていたじゃないか。」

 そんな言葉を交わしつつ、再び得物を構え直した、炎獄の民の頼もしき兄弟二人。先程までのやり取りだけで、恨みつらみや憤懣の、半分だって吐き出せたとは思えぬが。それでも…小気味いいほどの軽快さにて自分を取り戻せたは、さすがの力量・器量ということか。小山ほどもありげな怪物を前にして、二の腕同士のみを合わせての 番
つがい陣の構え。余裕の笑みを浮かべまでして、化け物退治へと立ち働くこととなった。










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  *ちょーっと油断するとうっかり更新が滞る、困ったシリーズでございまして。
   ………緊迫の場面に入って“うっかり”もなかろう、ですよね。
   集中しにくい猛暑に負けました、すいません。
   あともうちょっと、頑張りますので、どかよろしくです。